西加奈子『きりこについて』

きりこは、ぶすである。
文豪・夏目漱石の『猫』の出だしは超有名だ。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
西加奈子氏の『きりこについて』の出だしも、同じくらい衝撃的だ。
きりこは、ぶすである。
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ただの「ぶす」ではない。太字の「ぶす」である。

西加奈子『きりこについて』
でもこれだけならまだ、衝撃的というほどではない。
が。
この一文に続く章、文庫本では8行分の章でもぶすが繰り返される。3回も。最初の一文と合わせれば9行で4回、太字のぶす。
その後もぶすは何回も何回も登場し、その都度、必ず太字だ。
さらに、書かれている内容。
きりこがいかにぶすであるかの説明が、延々と続くのである。
まずは容貌の詳細から。顔のパーツひとつひとつを、どこがどうぶすなのかを、念入りに解説。
つぎは、ぶすが故の数々のエピソード。
きりこの公園デビューは、センセーショナルであった。いや、きりこは、その容姿から、初登場する場所ならどこでも、衝撃を誰かに与える子供であった。
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公園デビューにはじまり、幼稚園・小学校と、描写は続く。どこでもきりこは強烈なインパクトを人々に与えた。それほどにきりこはぶすだったのだ。
しかも奇妙なことに、きりこ自身は、自分がぶすだとは夢にも気づいていなかった。きりこは一人娘で、マァマもパァパもきりこをそれは可愛がって育てた。二人とも本気で「きりこちゃんは可愛い」と思い込んでいたので、二人が「可愛い」と唱え続けたのは決して嘘でもおだてでもない、本心である。だからきりこも、両親の言葉を疑わずに育ったのだ。
さらに、きりこには、あるカリスマ性があった。幼い友人たちは、なんとなく「うっとり」したまま、きりこの忠実なとりまきとなった。きりこはいちばんの人気者だった。
小学校5年までは。
ところがある日、子供たちは突然「ぶす、やわ!」と気づいてしまったのである。あっという間に彼らは去り、きりこはやがて不登校となり、昼夜逆転の引きこもりとなり、一切の交際を絶ってしまった・・・・・
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きりこは人間たちとの交際を絶ってしまいますが、孤独ではありませんでした。きりこにはラムセス2世がいたからです。きりこが小学生だったころに体育館の裏で拾った黒猫です。
ラムセス2世はふつうの猫ではありませんでした。IQ740の頭脳で、きりこと話すことができました。きりこは猫たちをよく理解するようになります。猫たちも、きりこが大好きになりました。猫には、人間女性の外見上の美醜なんて、全く関係ありませんからね。
猫たちのお陰で、きりこは何が大切か、ひとつひとつ学んでいきます。人間として、たくましく成長していきます。
猫好きにとってこの本が愉快なのは、猫がとことん持ち上げられていること。猫の考え方、猫のものの見かた、猫の生き方、猫の眠り方。すべてが人間のそれとは違っていて、そして、常に猫の方が絶対的に正しい!
そう、猫こそが人間の師匠、見習うべき存在だと、全編いたるところで偉そうにほざいている本なのです(「語って」なんて単語より「ほざいて」という単語の方がふさわしく思われる雰囲気で)。そりゃだって語り手は猫ですからね、偉そうにふるまうのは当然です。
扱っている内容は、ぶすな女の子の運命や、いじめや不登校や引きこもり、さらにレイプや偏見など、重くなりがちなテーマばかりです。けれども暗さはありません。ラムセス2世のような猫が絡んでいては、暗くなりようがありませんね。セックスとかAVなんて言葉もポンポン出てきますが、そういう場面の描写はありませんので、いやらしさもあまりありません。
ラムセス2世の、一番最後の章だけは、猫好きな私としては余計だったけれど・・・
この本を読んで、力を貰える人は多いのではないでしょうか。高く評価する人が多いのもうなづけます。
もしあなたが、「もはや”セックス”という文字を見ただけでドキドキするような年齢ではないけれど、”ぶす”と言われたら今でも深く傷ついてしまう」ような世代であれば、とくにお勧めです。猫好きであれば、なおさら。ぜひお読みください。
(私?あはは、もう少し上です。「ぶす?トポロジー的にはみんな一緒じゃん」と笑えるような世代・・・)

西加奈子『きりこについて』
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『きりこについて』
- 著:西加奈子(にし かなこ)
- 出版社:株式会社KADOKAWA 角川文庫
- 発行:2011年 c2009
- NDC:913.6(日本文学)小説
- ISBN:9784043944811
- 217ページ
- 登場ニャン物:ラムセス2世、おぼんさん、他多数
- 登場動物: