佐野洋子『100万回生きたねこ』
あまりに有名な、猫の絵本。
全国学校図書館協会選定図書で、中央児童福祉審議会推薦図書。
1977年の発売当時から現在に至るまで、高い評価と賛辞を常に受け続けてきた絵本です。
子ども用に作られたようでありながら、内容的には大人こそ唸って考え込んでしまうような絵本です。
私が初めてこの絵本を読んだのがいつだったか、今となってはまったく思い出せません。
私の事ですから、おそらく発売されてすぐ、猫の絵に惹かれて、店頭で立ち読みしたのが最初だと思います。
その後も何回も立ち読みしました。
若い頃、絵本というジャンルは、価格の割に文字が少ない=コストパフォーマンスが悪い、ということで、買えない本たちでした。
そして、あまりに何回も立ち読みして絵も内容も頭に入っていたので、社会人となってからも、いまさら買おうという気になれずにいました。
だから、購入したのはつい最近です。
電子書籍が急激に普及し始めたので、紙の本で入手できるうちに買っておこうと思ったのです。
文章主体の作品なら電子書籍でぜんぜん構わないけど、紙に描かれた絵本は、やっぱり、紙の本で所有したいじゃないですか。
世の中、「名作」の定義はいろいろあるでしょう。
私が考える「名作」とは、何回でも味わえる作品だということです。
名曲は、毎日聞いても飽きません。名画は、ずっとそこに飾ってあっても飽きません。
そして、本であれば、何回読み返しても、それこそ100万回読み返したとしても、その都度、新たな気づき、新たな感動があること。
いいかえれば、一冊の本の中に、100万もの解釈があるということです。
同じ本で、100万人が違う読み方をできるということでもあります。
さて。
『100万回生きたねこ』のあらすじは、これも多分、猫好きな皆さんならすでにご存じでしょうから、いまさらネタバレとかも気にしないでいきましょう。
本は、こう始まります。
100万年も しなない ねこが いました。
100万回も しんで、 100万回も 生きたのです。
りっぱな とらねこでした。
100万人の 人が、 そのねこを かいわいがり、 100万人の
人が、そのねこが しんだとき なきました。
ねこは、1回も なきませんでした。
page2
本の中でねこは、王さまや、船のりや、サーカスの手品つかいや、どろぼうや、ひとりぼっちのおばあさんや、小さな女の子に飼われます。
でも、誰もかれもきらいでした。
ねこが死ぬと、人間は泣いて埋葬します。でも、ねこは泣きません。
ねこは しぬのなんか へいきだったのです。
page14
あるとき、ねこは、野良猫に生まれ変わります。
ねこは はじめて 自分の ねこに なりました。 ねこは
自分が だいすきでした。
page16
ねこは、ほかの野良猫たちにちやほやされますが、動じません。
「おれは、100万回も しんだんだぜ。 いまさら
おっかしくて!」
ねこは、 だれよりも 自分が すきだったのです。
page18
ところが、1ぴきだけ、見向きもしないねこがいました。
美しい白い雌猫です。
ねこは、その白いねこに心惹かれ、くどきおとし、ついに結婚して、子猫も生まれます。
ねこは、白いねこと たくさんの 子ねこを、
自分よりも すきなくらいでした。
page24
しかし、ふつうの猫には寿命というものがあります。
いつまでも一緒に生きていきたいと願っていた白いねこも、歳を取って、とうとう死んでしまいます。
ねこは、はじめて なきました。夜になって、朝になって、
また 夜になって、朝になって、ねこは 100万回も
なきました。
page28
いままで、一度も泣かなかったねこが、白いねこを失って、初めて泣いたのです。
100万回も泣いたのです。
そして
ねこは もう、 けっして 生きかえりませんでした。
page30
100万年前には、現生人類 Homo sapiens も、現在のイエネコ種 Felis catus もまだ地球に出現していなかった、という事実は別として。
(古代生物大好きな私はまずここが引っかかっちゃったりしたんですけどね・・汗。ちなみに、100万年前といえば、ヒトはジャワ原人か北京原人の頃。イエネコは、原種といわれているリビアヤマネコの先祖。まあ、こちらは「りっぱなとらねこ」で正解かもしれません。)
このねこの平均寿命は、
100万年÷100万回=1年
ということになります。
が、ひとりぼっちのおばあさんと暮らした時は「ねこはとしをとってしにました」と書いてありますし、1歳以上長生きしたこともあったようです。
ということは、生まれて間もなく、あるいは難産で誕生と同時に死んでしまったことも、相当多かったのではないでしょうか。とくに最初のころ(北京原人と暮らしていた頃?・・苦笑)は、まず長生きはできなかったのでしょう。そうでないと、計算が合いませんから(100万という数字が、「すごく多い」という表現手段にすぎないことは、それこそ百も承知、百万も承知ではありますけどね。汗)。
また、この100万という回数を、ヒトの一生で換算すれば、毎日30回以上という頻繁さです(100万÷80年÷365日=34.246…)
それほど頻繁に死んでいれば、死ぬのなんて平気なのは当然です。
そして、ねこが、飼い主の人間たちを愛さなかったどころか「だいきらいでした」も当然です。
毎日30-40人に会う職業の人がいたとして、その相手ひとりひとりを愛するなんて可能でしょうか?しかも数分後には必ず永遠に別れないといけないというのに?
誰に対しても何の感情ももたない方がふつうでしょう。いちいち愛して別れを悲しんでいたら、それこそ、身が持ちませんから。
なのに、ねこは、白いねこを愛してしまいます。子ねこたちまで作って、その子ねこたちをも愛してしまいます。
白い猫を老衰で失ったあと、ねこ自身ももうけっして生き返らなかったのも、自然の成り行きであったことでしょう。
この本の読み方はいろいろあると思います。
もっともすなおな解釈は、今まで誰も愛したことの無かったねこが、愛を知り、生き返ることをやめた、というものではないでしょうか。
生き返らなかったのは、
・白いねこを失った悲しみのあまり生き返る力を失ってしまった。
・白いねこのいない世界なんてもう魅力を感じられなかったのであえて生き返らなかった。
・白いねこと今度こそあの世でずっと一緒に生き続けたかった。
などのほか、もうすこし読み込んで、
・今まで自分を愛し失った人たちの気持ちと悲しみを初めて知り、今さらながら申し訳なく、もう生き返る資格はないと思った。
などの解釈もできるかと思います。
我々日本人は、仏教と切り離せない精神構造をもっていますから、この話は輪廻の思想をあらわすと考える人もいるでしょう。
仏教等では、生きものは死んでは生き返ることを繰り返すとされます。これを輪廻転生ということはご存知の通り。
そして仏教でこの「生まれ変わる」ということは、「良いこと」ではありません。永遠の生まれ変わりはむしろ、とてつもなく恐ろしい。その恐ろしい輪から脱し、輪廻転生から離れるために、仏様の教えがあるのだとされています。
100万回も生まれ変わるという業苦を繰り返したねこは、白いねこのお導きで、やっと涅槃に入ることができたのだと解釈することも可能でしょう。
(正確には仏教の教えでは猫の身で許されていないようですが、童話ですから、その辺はうるさくいわないようにしましょう。)
ほかにもいろいろと、哲学的に、宗教的に、あるいは精神医学的にと、読み解くことができそうです。
動物好きな私は、生物学的(???)にも考えてみました。
竹はおよそ120年に一度、花をさかせると聞きます。
120年に一度、若い竹も古い竹も一斉に開花し、その後、その竹林はなぜか全滅してしまうのだとか。
このねこにとって100万年というのは、竹の120年に相当するのかもしれません。
竹や粘菌のような生物は、地下茎で繋がっていて、その群生全体がの巨大生物の一個体ようなものだともいいます。
このねこの100万という数字が、地上に出た100万本の竹、みたいな意味での100万であれば、それぞれの個体がそれぞれの寿命を全うしつつ100万年の間に100万回うまれることも理論上は可能となります(こんな理論があるかどうかは別として)。
そして、さいごに結婚して、つまり花を咲かせて、そして、その群生全体が死んでしまった。
あるいは。
ねこは、さいごに白いねことの間に子猫たちを残して永遠に死にます。
これはまるで、単為生殖を続けた個体が、さいごに両性生殖をして死んだようにもみえます。
単為生殖(クローン)を繰り返している限り、その遺伝子は原則不変ですが、両性生殖をすると遺伝子はミックスされ、つまり元の形を失います。
このねこが遺伝子(DNA)であれば、この話はそれなりに正しい話(?)となっていきます。
つまり、これは、地球生命の誕生と進化を象徴する壮大な話にゃのである・・・
にゃはは。
だんだんSF風になってきてしまいました。キリがなくなるので、ここら辺で、おしまい。
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『100万回生きたねこ』
- 作・絵:佐野洋子 (さの ようこ)
- 出版社:講談社
- 発行:1977年
- NDC:913.6(日本文学)小説
- ISBN:4051272748 9784061272748
- 31ページ
- カラー
- 登場ニャン物:無名(ねこ)、無名(白いねこ)
- 登場動物:-
【推薦:にゃぐ様】
青い目の生意気なとらねこが、奥ゆかしい白い猫に出会い、初めて他を愛するということを知り、生き返らなくなるというお話。
柔らかい色調ととらねこのふてぶてしい表情、白い猫の色っぽさ、絵本とは思えないほどいいんです。
幼い頃の息子(現在・中2)のお気に入りでした。
(2002.4.18)
*サイトリニューアル前にいただいておりましたコメントを、管理人が再投稿させていただきました。