『たまたま・ネコ』
21人の作家による23の猫短編集。
小説とエッセイです。
短編をそのまま掲載したもの(『愛撫』など)、中・長編の一部を抜粋して掲載したもの(『ねこに未来はない』など)があります。
抜粋しているものの中には、別に感想を書いているものもあります、それらはリンクしましたのでそちらをご参照ください。
『ネコロマンチシズム』
内田百閒(うちだ ひゃっけん)
百閒には、名作「ノラや」がある。愛猫ノラが行方不明になり、あらゆる手を尽くして探しまわったが見つからず、ひどいペットロスに苦しんだ心境を赤裸々につづったものである。そのノラへの思いが、この短編にも書かれている。
『猫の配達する手紙』
松本恵子(まつもと けいこ)
通い猫ゴロザエモン君について、4ページとごく短いもの。
『怪猫伝』
徳川夢声(とくがわ むせい)
どっちかと云うと猫嫌いの「私」の家に、大きな猫が住み着いた。「とにかく異様なやつで、全身真っ黒々、目は青葡萄色で、しっぽは無闇に長く、一見して、日本種ではないような風貌を備え」た猫だった。
『猫の事務所』
宮澤賢治(みやざわ けんじ)
こちらをご覧下さい→「猫の事務所」
『猫のいる日々ー黙っている猫・猫家一族』
大佛次郎(おさらぎ じろう)
こちらをご覧下さい→「猫のいる日々」
『猫』
尾崎一雄(おざき かずお)
子猫と、大きな猫と、妊娠している妻と、極貧の作家。
下宿の支払いはたまっている、妻は今にも産みそうだ、生と死と猫の絡みが絶妙である。
『猫の子』
中村汀女(なかむら ていじょ)
4ページの小品。
『愛撫』
梶井基次郎(かじい もとじろう)
こちらをご覧下さい→「愛撫」
『返りネコ』
乾信一郎(いぬい しんいちろう)
ただの一度だけ、ひとさまにわが家の子ネコをさしあげたことがある、その時の話。4ページ。
『のら猫出現と給食定期便』
飯島奈美子(いいじま なみこ)
こちらをご覧下さい→「銀座のら猫物語」
『優雅なカメチョロ』
室生朝子(むろう あさこ)
信州ではトカゲのことを「カメチョロ」と呼ぶそうだ。室生朝子の父・室生犀星は、苔の中をとび回る姿がトカゲによく似ていたので、「カメチョロ」という愉快な呼び名をもらった。
『猫の絵』
鴨居羊子(かもい ようこ)
「いつごろからか、私の絵には必ず犬や猫が登場するようになった」。猫は存在自体が芸術的だという鴨居さんの猫エッセイ。
『猫と女』
小島功(こじま こう)
戦前の話。不思議な女性と、その飼い猫。若くウブな「ぼく」はどちらに惹かれたのだろうか。
『ニャンともおかしなこと』
なだいなだ
ぶくぶく中年太りになった、ぐうたらのネコ、ミヌー君。そのミヌー君をまねてみる「ぼく」。家族の女性どもは、「この二つのオスを、あきれはてたような表情で見まもっていたが」、ぼくはぼくなりに考察を深めているのだ。
『武者修行に出かけたチャミー』
高田宏(たかだ ひろし)
世界の各地で猫には魔力があると信じられてきた。著者の、猫たちにまつわるちょっと不思議な体験談など。
『ネコ』
三木卓(みき たく)
バスの窓から見えるネコたち。アパートの四階の窓から見えるネコたち。かつて、「四九匹のネコが共同して一軒の家の家主になっている、という童話『おおやさんはねこ』を書いたことが」ある著者の目はいつもネコを追っている。
『ネコの航海日誌ーぼくは猫する・さようならという名の猫』
寺山修司(てらやま しゅうじ)
二編の猫の詩です。
『二匹の猫のこと』
立原えりか(たちはら えりか)
猫嫌いだった母が一度だけつきあった猫、クロの話と、いつもガタンドタンと音を立てて歩くため「ガタン」と呼ばれた猫の話。
『私の猫たち許してほしい』
佐野洋子(さの ようこ)
猫好きの佐野さんの、まだ無知だった幼い頃の思い出。
『ねこに未来はない』
長田弘(おさだ ひろし)
こちらをご覧下さい→「ねこに未来はない」
『それぞれの孤独』
熊井明子(くまい あきこ)
ペットショップにいた売れ残りの子猫と、不思議な女の子の話。
(2008.2.10.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『たまたま・ネコ』
愛猫物語-23
- 出版社:フットワーク出版社
- 発行:1990年
- NDC: 913.6(日本文学)短編集
- ISBN:4876890269 9784876890262
- 253ページ
- 登場ニャン物:ノラ、クルツ(以上内田百閒)、トンコ、ゴロザエモン(以上松本恵子)、ミー公(ミーチャン)、玉(以上尾崎一雄)、ユウ子(中村汀女)、ミヌー(なだいなだ)、チャミー(高田宏)、チイ(長田弘)、他
- 登場動物: -