戸川幸夫『白色山塊』 上・下

昭和初期、トラvs人間の壮絶な戦いがあった。
朝鮮国境からアムール川(黒竜江)に至る千キロに亙る地域は中国東北部になって居り、その昔は満州と呼ばれていた。日本がこの地域に満州帝国と称する傀儡国家をつくりあげたのは一九三二年(昭和七年)であった。・・・
(上p.5)
昭和12年。ひとつの家族が赴任してきた。東寧県参事官となる田中吾一とその妻、お手伝いの娘(日本人)、それから、秘書のような働きをしてくれる男(中国人)。
参事官としての仕事は困難を極めた。川を挟んだすぐ隣はロシア領。いつ戦争が勃発してもおかしくない。中国人、ロシア人、日本人、匪賊たち。一触即発の緊迫した毎日。
人間の問題だけでも山積みなのに、もっと困難な事態が生じた。
虎である。
その地はもともと、鬱蒼たる密林が広がる人跡未踏の山塊だった。密林の掟が今も残っていた。そこでは虎こそが大昔からの支配者だった。人々の虎に対する恐怖心は並大抵ではなかった。
人民の心の安定のために、虎を退治しなければならない。
しかしそれは容易ではなかった。険峻な山々は、人間の侵入をはねつけた。
中でも飛び抜けて大きな虎がいた。その虎は最初は人を殺さなかった。が、銃に傷つけられた後、人を殺すようになった。その虎は強大なだけでなく、恐ろしいほどの知恵者だった。被害者は増えるばかりだった。人々はその虎を「王大虎(ワンタイフー)」と呼んで恐れた。
一刻も早く、王大虎だけでも、仕留めなければならない。
しかし田中参事官には、一人での虎退治は無理だ。銃の腕は確かだが、知識も経験も無い。
ある猟師に目を付けた。無愛想で、とっつきにくく、野獣のような風貌だが、猟師としてこれほど頼りになる男はいない。
なんとか説き伏せて一緒に山を歩くようになる。が、その男をもってしても、王大虎は強敵だった。
道もない山の中を、ある時は吹雪に閉じこめられ、ある時は山火事に追われ、時には山賊に襲われて命を落としそうになりながら、ひたすらに虎を追っていく。
山の生活のすさまじさ。
厳しいなんて段ではない。すさまじい、としか言いようがない。
これは実話に基づく話だそうだ。
戸川幸夫氏の、人間にも動物にも自然にも公平な目が、ストーリーをさらに迫力あるものにしている。
同じ戸川幸夫氏の作品で、同じく実話に基づく人食い大型ネコ科を扱ったものに、『人喰い鉄道』 がある。そちらの2頭のライオンの方が犠牲者数ははるかに多いのだけれど、私はそのライオンたちより、こちらの王大虎の方により恐怖を感じる。
恐怖というより、畏敬である。
ネコ科という動物は、これほど賢いのか。これほど用心深いのか。これほど優秀で、これほど強く、これほど思慮深いのか。
・・・そんなネコ科の小さな仲間が、今まさに膝の上で丸くなって寝ている事が、奇跡のように有難く思えてくるのだ。
(2008.9.23.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『白色山塊』 上・下
- 著:戸川幸夫(とがわ ゆきお)
- 出版社:徳間書店 徳間文庫
- 発行:1987年
- NDC:913.6(日本文学)小説
- ISBN:上=4195982316 9784195982310; 下=4195982324 9784195982327
- 346、348ページ
- 登場ニャン物:王大虎ワンタイフー(アムールトラ)
- 登場動物:野生動物達