リリアン・J・ブラウン『猫は山をも動かす』
山頂でゆったりとひと夏を楽しむつもりが・・・。
クィラランがファニーおばさんから莫大な遺産を受け継いだ時、その条件はただひとつ「5年間ムース郡に住むこと」だった。
その5年がとうとうすぎ、クィラランは正式にクリンゲンショーエン家の遺産を相続し、押しも押されぬ億万長者になった。
ピカックス市の住民たちは、クィラランは市を去ることになるだろうと思っていた。
なんといってもピカックス市は、どこからも400マイル北にある、人口3000人の田舎。
クィラランほどの経歴とお金を持つ50代独身男が、こんな田舎町にこのまま永住するとは思えなかった。
クィラランは、しかし、迷っていた。
実は彼はムース郡での生活を、ひそかに気に入っていたのだ。
そこで、今後の人生についてじっくり考えるために、山にしばらく引きこもろうと決めた。
誰も知らない、誰にも邪魔されない場所で、ひとりきり(もちろん猫達は連れて行くが)になって、静かにじっくり考えようと思ったのだ。
クィラランは、ポテト山脈に家を借りて出発した。3か月だけ滞在する計画だった。
しかし。
クィラランとココのいくところ、必ず、なぜか事件が。
それも、殺人事件が。
クィラランが借りた家は、1年前に殺人事件が起こった家だったと判明。
しかも、その犯人として終身刑を言い渡された男は、実は無実らしいと知る。
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今回のテーマ。
掘り下げるつもりで書けば、相当深い内容になったと思うのですが。
ほんの少し触れただけで、さらりとすり抜けてしまっています。
猫が主役の娯楽ミステリーでは、仕方ないとはいえ、少々もったいない。
だいたい、猫好きには自然愛好家が多いんです。
もう少し掘り下げて書いてくれたら、『猫は・・・』シリーズの中の一冊という立場を抜け出し、一般に注目されるような作品となったかもしれないのに。
この作品では、拝金主義者+開発事業社、対、自然保護者+伝統的スローライフ、という、今や世界中で普遍的となった対立構図が描かれています。
山の民は「テイター」と呼ばれています。先祖代々、山に住み、芸術を愛し、大自然とともに素朴に生活している。
谷の住民は「スパッド」と呼ばれ、ひとことで言えば、進歩派です。お金も権力も持っています。
ストーリーとしては、まあ、お決まりの経路・・・無茶な開発、自然破壊、大自然によるしっぺ返し、真実の暴露、素朴な民の救済、と進みます。
そこにココとクィララン(と彼のクリンゲンショーエン基金)が絡んできて、最後にはクィララン(のクリンゲンショーエン基金)が救世主となるわけですが。
そもそも、なぜ、クィラランは、周囲の反対を押し切ってまで、ポテト山脈へ向かったのか?
縁もゆかりもない土地だったし、彼はそれまで、山に興味なんかなかったのに。
旅を嫌う猫達が、なぜ今回は大人しくついてきたのか?
なぜココは、たちまち、各種のヒントを出し始めたのか?
クィラランは、本の一番最後で、ある答えを思いつきます。
山の民の願いを、まさかココが感じ取ったのではあるないなあ?
何百マイルも離れた場所なのに?
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『猫は山をも動かす』
『猫は・・・』シャム猫ココシリーズ
- 著:リリアン・J・ブラウン Lilian Jackson Braun
- 訳:羽田詩津子(はた しづこ)
- 出版社:早川書房 ハヤカワ文庫
- 発行:1995年
- NDC:933(英文学)アメリカ長編小説
- ISBN:4150772126 9784150772123
- 340ページ
- 原書:”The Cat Who Moved A Mountain” c1992
- 登場ニャン物:ココ(カウ・コウ=クン)、ヤムヤム
- 登場動物:-