日高敏隆『ネコたちをめぐる世界』

飼われたネコは、人についてはじめて家につく。
2009年11月、『動物行動学の第一人者で京都大名誉教授の日高敏隆(ひだか・としたか)氏が、14日、肺がんのため死去』というニュースが流れた。全く面識はなかったにもかかわらず、古い知人を一人亡くしたかのような寂しさを覚えた。日高敏隆氏の本は、訳本を含め、何冊も読んで親しんでいたからだ。
と同時に、氏の『ネコたちをめぐる世界』のレビューが未載だったことも思い出した。しまった、書かなきゃ!
再読すると、やはり面白い。今は猫ブームでちまたに猫エッセイはあふれているけれど、さすが動物行動学者、気楽な猫エッセイといってもどこか違う。ご自分でも「ぼくはネコ派である」と書かれている通り、猫たちに対する愛情は並みならぬものが感じられるけれど、その片隅に醒めた学者の目があって、猫達を鋭く観察している。
この本での氏の飼い方は、今の時代ではもう推奨できない旧式である。つまり、出入り自由で、繁殖制限なし。だからどんどん産まれる。ケンカもする。家中マーキングで客も呼べない臭さ。しばしば野良猫が家の中まで入ってくるし、勢力争いに負けて家出する猫も出てくる。寿命は短い。数年で代替わりしてしまう。
しかし、自然な生き方ではあった。動物学者としての著者の観察眼が冴える飼い方でもあった。
日高氏がくりかえし本の中で述べているのは、ネコと人間の関係である。ネコがあまりに人間に馴れ甘えるので、氏はほとんど面食らっているようにさえ見える。
飼われているネコにとって、人間は安全の最大のシンボルにまでなってしまっている。それはぼくにはなんとしても納得しがたいことなのだが・・・。(p.96)
飼われているネコたちを見ていると、彼らがみんな他人に甘えたがっていることは明らかである。なでてほしい、抱いてほしい、さすってほしい。彼らはいろんなことをしてもらいたがっている。
けれど、ネコは本来単独で生活する動物である。自然の中で生きていたころ、あるいは今日でものらネコとして生きているネコたちは、そのような願望を満たされぬまま、じっと耐えているのだろうか?(p.138)目を覚まさないどころではない。さわっても平気である。のどもとをぐっと手でしめても、ぐっすり眠りこんだままでいる。首をつまんで持ち上げても、まだ眠り続けている。
もし、野外でこんなことがおこったら、どうしようというのだ?(中略)
のどもとをぐっとしめあげられたり、首すじを持ち上げられたりすることなどは、もう絶体絶命的状態のはずである。必死のあがきをしても当然だ。ところが、うちのネコたちは、まだ平然と眠っている。どういうことだろうか?(p.150)
そして、最後にはこう結論づけている。
よく、イヌは人につき、ネコは家につくという。これはどうみてもうそである。ネコもヒトについているのである。飼われたネコは、人についてはじめて家につくのである。
(中略)もちろん飼いネコは、食物を人間に依存している。けれどそればかりではない。ネコたちは、自分が人間にかわいがられていることが確認できたときだけ、安心していられるのである。われわれ人間とちっとも変わるところがない。ネコも所詮は人間にすぎないのだ。(p.230)
日高敏隆氏のご冥福をお祈り申し上げます。
(2009.12.24.)

日高敏隆『ネコたちをめぐる世界』
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『ネコたちをめぐる世界』
- 日高敏隆(ひだか としたか))
- 出版社: 小学館 小学館ライブラリー
- 発行: 1993年
- NDC : 645.6(畜産業)犬猫
- ISBN : 9784094600438
- 243ページ
- 登場ニャン物 : サンク、バルバル、ブランシェ、ポリプ、パンダ、ゲリル、リュリ、ミロワール・デ・シャ、レオノール・フィニ、トレード、ボンジョヴィ、独立独歩、他
- 登場動物 : ―
目次(抜粋)
- 本編
- *コラム、ネコグッズコレクション
- *あとがき
- *小学館ライブラリー版あとがき
- *初出一覧