小手鞠るい『猫の形をした幸福』

小手鞠るい『猫の形をした幸福』

「幸福はここに、わたしたちの膝の上に、在る。けれど―――。」

わたしは、日系アメリカ人の男性・未知男と日本でお見合い後、すぐに結婚し、アメリカで暮らすことになった。まだよくは知らない男と、ぜんんぜん知らない場所での生活。英語は翻訳家をするくらいだから使えるとはいえ、やはり母国語のようなわけにはいかないし、なにより、故郷も過去も何もかも日本に置き去りにして、未知男だけを頼りに、新生活を始める心細さ。

新婚のふたりがまっさきにしたことは、住む家を見つけ、そこに、猫を迎えることだった。

A.P.C.A.(動物愛護施設)をまわって、ぴったりの猫をさがす。どの猫にするかで、ふたりは初めての夫婦喧嘩もする。何日もかけて何か所もまわって、最終的にふたりが選んだ猫は・・・否、選ばれたのだった。その猫、後に「マキシモ」と名付けられた、4か月にしては巨大な子猫は、自らケージの扉をあけて未知男の肩に飛び乗ってきたのだ。

マキシモの存在は、まさに天使そのものだった。ふたりは、マキシモのすべてを愛した。全身全霊で愛した。

ほどなくして、わたしたちは気づいた。 猫が飛び上がるたびに、テーブルの表面に、引っかき傷がつけられていることに。前足の鋭い爪を柔らかな木肌に立てることで、猫は優雅な跳躍を成功させていたのだった。 「おやおや、これは困ったことになったぞ」 「このままじゃあ、うちの食卓は傷だらけになっちゃうね」 顔を見合わせて、わたしたちは笑った。まるで、買ったばかりのテーブルに傷をつけられるのが、嬉しくてたまらない、という風に。 (page50)

しかし、ふたりは知っていた。猫の寿命は人間より短いことを。
そして、年月が過ぎていき、・・・

*   *   *   *   *

これほど猫愛にあふれた小説は珍しいと思います。最初から最後まで、猫かわいい!マキシモかわいい!愛している!愛している!と、叫び続けているような小説。新婚ほやほやのふたりなのに、その甘~い生活もふんだんに語られているのに、それ以上に、猫♡猫♡猫♡♡♡!

で、ありながら、・・・

これほど最初から、ほんの子猫で迎えた最初から、最期を予感し別れを恐れ続けている小説も珍しいと思います。最初から死の様子を描いた小説以外で、これほど不安そうに書かれた本なんて、他に知りません。

と書くと、マキシモ君は若くして死んじゃうんだと思われそうですが、そんなことはありません。猫の平均寿命までは、病気らしい病気もせず、元気そのものです。別れの場面は終わりの方の数章だけです。

にもかかわらず。

小説全体が、いつか必ず訪れると別れに対するおののき、震えで覆われています。ほんわりと透明な文章、初々しいラブシーンの数々、猫がいる喜び、しあわせ、そんなものに囲まれていながら、底流にどす黒く流れつづける不安。

ちょっと不思議な作品です。

愛するものを失った経験のある人でなければ、この悲しさはわからないかもしれません。失ったばかりの人にお勧めするには、ちょっと勇気のいる小説。悲しみから立ち直った人であれば、深く共感せずにはいられない内容。

秀逸です。

小手鞠るい『猫の形をした幸福』

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

著者について

小手鞠るい(こでまり るい)

2005年に『欲しいのは、あなただけ』で、第12回島清恋愛文学賞を受賞。2009年、原作を手がけた『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(絵/北見葉胡)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。おもな著書に『エンキョリレンアイ』シリーズ3部作のほか『空と海のであう場所』『カクテル・カルテット』『望月青果店』ほか多数。エッセイ集に『ウッドストックの森の日々』『愛しの猫プリン』など。 (著者プロフィールは本著からの抜粋です。)

『猫の形をした幸福』

  • 著:小手鞠るい(こでまり るい)
  • 出版社:株式会社ポプラ社 ポプラ文庫
  • 発行:2011年
  • 初出:2008年9月ポプラ社
  • NDC:913.6(日本文学)小説
  • ISBN:9784591126967
  • 261ページ
  • 登場ニャン物:マキシモ、タンジェリン
  • 登場動物:-

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA