『小説版:ネコナデ』
猫が、男のかたくなな心を溶かしていく。
『ネコナデ』劇場版の脚本を私が最初に書いたのが、2007年春。
それから一年。『ネコナデ』は映画はおろか、ドラマシリーズとなり、更にコミックになり、ここに小説化された。
それぞれが少しずつニュアンスを違えているが、癒しとは、単に与えられるものではなく、勝ち取るものだというテーマは全メディアに息づいており、・・・(後略)
あとがきより
・・・と、あるように、この話はまず劇場版(映画)からはじまり、小説で終わったらしい。
しかし私はまず小説から読んでしまった。過去においては、多くの作品が、まず小説で発表され、一定の評価を得た後に映画やコミックで映像化される、というのが定番だったから、長年の習癖でつい文字の方を先に読んでしまった。本文を読み終えて、あとがきをみて、初めて順番が逆だったことに気付いた。
なので、正しい順番で進んだ方から見れば「?」ということを書くかもしれないけど、お許しいただきたく。
さて。
「私」は一流企業(株)デジタル・ドラグーンの人事部長。社長の命令で、過酷なリストラを執行中。名前は、鬼塚汰朗(たろう)。この古めかしい名前そのものな、いかめしい堅物である。決められたことは必ず守る。それが、社会や、会社や、社長が決めたことであろうと、あるいは自分で決めたことであろうと。
毎朝、午前8時45分に会社のエレベーター前につく。その誤差は前後三分間まで自分に許している。会社では、社長の機密指示に従い、無慈悲に厳格にリストラを執行する。相手がだれであろうと同じことだ。そして夕方、五時半きっかりに会社を出る。満員電車に一時間揺られて帰宅。
自宅に戻る前に、私にはもうひとつの日課がある。それは、こみあげてくる胃酸を治めること。つまり、公園で正露丸とヨーグルトを摂取して、家族に胃病を隠すこと。
ところが、その日、公園のベンチの前に、段ボール箱にはいった子猫を発見しててしまった。
帰宅してからも気になって仕方がない。翌日早朝、出社前に様子を見にいってしまった。まだいた。出社して、帰宅途中にまた見に行ってしまった。まだいた。しかも、冷たい雨が降っていた。「私」は、猫の体を掌でそっと包み込み、抱き上げた・・・
「私」の運命が変わった瞬間だった。
コチコチに固まって角だらけになっていた男が、ちっぽけな子猫の世話をしているうちに、角が取れていく。余裕が出てくる。周りが見えるようになってくる。男が、
「これが・・・・・・癒しというものなのか・・・・・・」
と実感するまで94ページもかかるが、その後は急坂を転げ落ちるように早い。 わずか24ページ後の118ページ目で、
「しかしこれが本能ってやつなんだろう。それ故にこいつはかわいいのだ。」
と「かわいい」を認識し、134ページ目でもう
「誰が何と言おうとトラはいい。」
と完全に籠絡されてしまう。いつも渋面だった男が、トラの〝にゃあ”のひと声で笑みを浮かべ、(p.163)、ついに宣言
「私は、もう恥ずかしがることをやめた。声を高らかに言いたい。私は、猫が好きだ。」(p.206)
ネコ菌保菌者の皆様なら、「うん、うん、そうでしょ、その通り!猫はかわいいのにゃぁ!!!」とニタニタ笑いを抑えられないでしょう。トラちゃんは何をするでもない、ただそこにいて、ごはんを食べて、じゃれて、寝るだけなんだけど、それだけで一人の頑固おやじが大変身してしまう。君子は豹変す、そして、子猫は豹変させしむ?(笑)。
ついには、一人では寂しいだろうと、お友達まで購入するが、その猫というのが、また・・・(笑)。
猫好きさんにお勧めです。
猫嫌いな人には、どうしてこうなるのか、理解できないかもしれませんが(猫嫌いって、人生の半分を損してますね。お気の毒に(>_<))。
*このあと、「劇場版(映画)」も見ました。
(2014.2.1.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『小説版:ネコナデ』
- 著:亀井亨(かめい とおる)、永森裕二(ながもり ゆうじ)
- 出版社:竹書房文庫
- 発行:2008年6月
- NDC: 913.6(日本文学)小説
- ISBN:9784812435175
- 247ページ
- カラー、白黒、口絵、挿絵、イラスト(カット)
- 原書: ; c
- 登場ニャン物: トラ、カモシタ
- 登場動物: